今日は彼岸の中日(ちゅうにち)。
ご先祖様を思い出す(供養)日と昔からいわれています。
お墓参りに行かれる方も多いでしよう。
先日、法事をしたお寺では法要の後になぜか「千の風になって」
のテープが流されます。あの曲の歌詞には遺骨(お墓)には魂は、
宿っていません。 あくまでも、残骸です・・・といっています。
では、お墓は無用なものか・・・ということになります。
一説によりますと・・・・
そんなことはありません。 やはり、大事なものです。
何が大事かというと、先祖を忘れない為のモニュメントとして
大事なのです。人間は、日々の仕事や生活に追われていると、
先祖供養も忘れがちになります。
お彼岸や御盆の時期が来ると、ニュースなどで墓参りを思い出して、
お墓が有れば家族でやっと行こうとします。
お墓には霊がいないとしても、供養するために色々準備したり
長時間、車に乗ったりしてお参りするなどの行為自体が
供養になるのです。
もちろん感謝の心もですが・・・
お墓が無ければ、家族で先祖供養する機会もありません。
年に数回だけでも、子孫が先祖へ気持ちを向けるだけでも、
先祖霊には大きな慰めになります。
安心成仏している先祖霊ばかりならば、年に数度のイベント
として墓参りを行い、後は先祖霊を忘れて、現実界で頑張る
ことで良いですが、迷っている先祖霊は、必ずどんな家系にも
あるものです。
迷う先祖霊は遺骨や墓に助けられ楽になる機会を求めて寄ります。
年に数度の墓参りよりも、やはり自宅における日々の先祖霊
への感謝を捧げる行為が大事です。
年に数度の墓参りで、子孫から気持ちを向けられるだけでも
嬉しいものなのに、毎日気持ちを向けられる喜びには、
大きなものがあります。
私たちが生きている間に先祖を慰め安心させる因を作った人は、
死後に必ず導かれて成仏し易いといわれています。
結局、先祖供養は自分のためのものなのです。
作用、反作用の法則で自身がした事は、自身に帰ってくるのです
もう一度、お彼岸の意味を考えてみられてはいかがでしょう。
今日はあいにくの雨、店内も静かです。
今日は暇にまかせて本を読んでいたら興味深いことが
書いてありましたのでご紹介します。
少し堅苦しい話でゴメンなさい。
みなさん、神武天皇はご存知ですよね。
高千穂から日向(美々津)をへて大和(奈良)の国へ
東征した日本の初代天皇です。
天孫降臨の神と言われています。
その天孫族が遠く西洋のシュメール文明に端を
発していたとは驚きです。(仮説)・・・
日本人がシュメール文明を祖としている証拠に、
当時は既に言葉があり、会話をしていました。
その言葉に共通性があるのです。
その同一語を全て書くと恐ろしく多くなるので20例ほど
書いておきます。
最初にヘブライ語の文字→読み方ヘブライ語での意味
→日本語の文字→意味と言う順に書いてゆきます。
1:BAREER・バレル・見つけ出す/ばれる・見つけられる
2:DABER・ダベル・話しをする/だべる・おしゃべりをする
3・DAHA・ダハ・打ちのめす/打破・打ち負かす
4・GOI・ゴイ・外人/がい・非日本人の頭につける字
5・HAER・ハエル・輝く/映える・照り輝く
6・HAKASHA・ハカシャ・拍手/拍手・拍手
7・HARA・ハラ・怒る/腹・腹を立てる
8・HAYA・ハヤ・速く/速い・速い
9・HIN・ヒン・品/品・品とか優美
10・KABAN・カバン・包む/かばん・かばん
11・KOR・コール・寒さ/凍る・水が冷えて氷になる
12・KOSHI・コシ・障害/故障・さしつかえる
13・MONO・モノ・物/物・物体
14・MITS・ミツ・果汁/蜜・甘い液体
15・YAE・ヤエ・素晴らしい/良い・素晴らしい
16・YURSHE・ユルシェ・許される/許し・許可
17・HATAL・ハタル・ぐるぐるに巻く/包帯・巻きつける綿布
18・KLI MONO・クリモノ・着る物/着物・衣服
19・MIZLA・ミズラ・流れる水/水・水
20・GINZA・ギンザ・保管場所/銀座・
名前の由来は公金の保管場所
どうですか?こんなにあるんですよ。同義語が。
そして、とどめは日本の最初の天皇である神武天皇の
ヘブライ訳です。
神武天皇ですが彼の正式称号は「神倭伊波礼昆古命」
カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコトです。
これをヘブライ語訳に直してみると。
カムは、創設すると言う意味のヘブライ語「KUM」ら来ています。
ヤマトは、神の民と言う意味のヘブライ語「YA.UMATO」から来ています。
イワレはヘブライを意味するヘブライ語「IWRAA」から来ています。
ビコは最初に生まれたを意味するヘブライ語「BEKHOR」から来ています。
スメラはサマリアのを意味するヘブライ語「SHAMRAI」(侍!!)から来ています。
ミコトは皇帝を意味するヘブライ語「MAKIOTO」から来ています。
これをまとめて意訳すると「サマリアの皇帝、神のヘブライ民族の
創設者」となるのです。
まさに倫理的な王としてふさわしいヘブライの称号になるのです。
そして、シュメール人を祖に持つヒッタイト人達は、
天孫族=シュメールの王族とその民であり、
天孫族はセム族であり、セム族はイスラエル人となる。
神武天皇は記紀にもあるように天孫族です。
と言う事は、日本創設者である神武天皇はセム族であり、
イエス・キリストを1つの神として祀り、
日本を作り上げたのは自然の事なのです。
モーゼやキリストは日本に来ていて墓まであるそうです。
先日のブログ記事の幣立神宮にはモーゼが奉じた聖石が
納められていますし、神社のあちこちの石からは
ペテログラフという古代シュメール文字が出土しています。
これでどうでしょう、我々日本人はシュメール文明を祖に持つ、
セム族の末裔であり、ユダヤ人と同祖なのです。
と言うかユダヤ人と言ってもいいぐらいでしょう。
布袋さまのあの笑顔をみていると悩んでいることが
ばからしくなってきます。
店の相談カウンターの横にはお気に入りの
パワーストーン(ラブラドライト)と布袋さまの像を
置いています。
いつもにこにこ・・・・悩みなんか吹っ飛びます。
青い靴はいたかわいい天使がいますよ~
私が思うに布袋さまのあの大きな袋は我々人間も
大小はあるもののみんな持っているように感じます。
人はこの世に生まれてくる前に一生分の
禄(お金、食べ物、各種の運や才能)を
魂の徳の応じて袋につめて生まれてきていると思います。
強欲に早く袋の中身を現世(うつせ)に出すか・・・それとも
ゆっくり少しづつ取り出すかは・・・・・自由だ~・・・
宝くじで一度に取り出すか、賭け事や悪事でとりだすか・・・
あとは空っぽですぞ~
アリとキリギリスみたいなぁ~~ウイッシュ~
人間、持って生まれた禄以上は逆立ちしても入ってこないということです。
あせっても、ないものはない、ない袖振れん・・・・(私の袋は小さいみたい)
果報は寝て待て・・(仕事中いつも居眠りして妻からおこられていますが)
布袋さまの笑顔をみているとそのように感じてしまう今日この頃です。
七福神の中の一柱の布袋さま・・・
大黒さまや戎(えびす)さまは有名ですが
私は、この布袋さまが大変好きです。
(叱られそうですが)
体型が似てるから・・・それもありかなぁ・・・
布袋さまは七福神の中で唯一実在した人物。
中国は浙江省の生れで、生まれた年はわかりませんが、
916年に亡くなったと伝えられています。
比較的小柄でお腹が出て、破れた衣を着て、
いつも大きな袋を持っていました。
袋の中には日常生活に必要なものがすべて入っていたそうです。
当時の人達は「布袋和尚」と呼びました。
占いや天候を予知することが上手で、
雪の中に寝ても身体が濡れなかったと言う話が残っています。
・・・・・《明日に続く》
今日は薬局はお休みです。
しかし、のんびりはしていられません。
法事があって五ケ瀬の方へ行くことに。
お寺の法要が終わり、その後の
僧侶の話が意外にも、良い話でした。
話の出だしが、いきなり・・・・
「今日は長いこと、意味の分からない御経をお聞かせして、
すいませんでした。私は、今日の法要の前座に過ぎません」
これまた、面白い切り口だなと・・・
「今日の法要のメインは、この後に用意されている皆さんの
食事の席です。 そこで、久しぶりに会われた、故人と縁あ
る皆さんが、話す内容が最も故人への供養となります」
なるほど正しい事を話す方だなと・・・・
「わざわざ御金を掛けて法要でもしない限り、遠方から忙しい
中を、故人を知る人が集まる事は無いです。ようは、故人を
知る人が集まって仲良くすることは、故人の人徳であり、
また、それが故人を一番喜ばす事なんです。」・・・・
と、まさに、このとうりだと感心しました。
私はよく近隣の神社に参拝しています。
境内の看板に厄年は何歳・・とか書かれています。
一体「厄年」って何だ?・・ってよく思うんですが、
みなさん、厄年は何か怖い事や不幸な事がある時期と
思われていませんか。
また、厄年をちまたで言うところの大殺界や天中殺などの
暦の凶運期と同じと思われていませんか。
全く違うらしですよ・・・・
ある神道に詳しい方が述べておられたんですが
特別な信仰を持たなくても、まじめに長く生きてい
ると、死ぬ前には何となく「自分が生かされて来た」事や
「何か大いなる存在」はいるかも知れないと思うものらしいです。
より真剣に仕事や芸に打ち込み、周りの人間を生かす様に
頑張り「生き」続けると、自然と「大いなる存在」を早い年齢
から感じ始めるようです。
正しく思いっきり生きた人間は全く無信仰な人でも、42歳の
厄年を境にして先祖や神仏への密かな感謝心を自然と持ち
始めるとのこと。
「厄年」とは神仏の望む「役をする年」に就く年齢の事です。
神仏の望む役とは正しい信仰を持ち始める事なのだそうです。
正しい信仰とは何かの宗教に入る事では無く、密かに自分一人
で先祖や神仏への感謝の心を持つ事だと。
残念ながら、この事に全く気が付けなければ、神仏との縁が
深い人ほど、今回の人生旅を終了して帰っておいでと成る人
はいます。(やり直し)
厄年とは、お祓いをするべき年齢では無く、正しい信仰に
目覚めるべき節目の年齢でありました。
また身体のサイクルが、今までの生活習慣の是非が反映する
節目の年です。つまり人間ドックに入るには最適な年齢でも
あります。
漢方では「未病を治す医者は名医だ」といって
未病(病気になる前)のわずかな兆候を見抜いて
病気を未然に防ぐという治療が一番と考えています。
厄年には今までの人生を振り返ってみればどうでしょう。