今回は、アメリカ編です
アメリカでのウイスキーづくりは、18世紀に入ってから始められたと考えられています
蒸留酒の生産自体は17世紀初頭から行われていましたが、ウイスキーではなく、果物を原料にしたブランデーや糖蜜(砂糖を精製した残液)を使ったラムが主体でした
アメリカのラムづくりは、奴隷売買を軸にした悪名高い三角貿易(ご自分で調べてくださいね)に支えられていたので、1808年、奴隷取引廃止令が施行されると、急速に衰退し、代わりに穀物を原料にしたスピリッツ(ウイスキー)がペンシルバニアで生産されるようになりました
当時の蒸留は、農民の余剰穀物の処理として広がったもので、小型の単式蒸留器による家内工業的、零細な規模がほとんどでした
1791年、独立戦争後の経済再建の為、政府は蒸留酒に課税する法律を公布したのですが、これに反対する農民は、いわゆる「ウイスキー暴動」(1794年)を起こすなど強く抵抗しました
この時、農民の多くは西部に移り、ケンタッキー、インディアナ、テネシーなどに新天地を求めたのでした
農民達は、この地域に適した穀物であるトウモロコシを栽培し、トウモロコシを原料にして蒸留酒をつくり始めたのです
現在、アメリカを代表するウイスキーとして知られるバーボン(Bourbon Whiskey)は、18世紀の末、ケンタッキー州バーボン郡で誕生しました
この地で最初にバーボン(バーボン・ウイスキーという名称が一般に使われるようになるのは、1820年以降とされる)をつくった人物として、エヴァン・ウイリアムス(Evan Willams)や牧師のエライジャ・クレイグ(Elijah Craig)などの名前が挙げられています
アメリカの酒類の生産は、1920年から13年間続いた禁酒法によって、表面的には廃止されたのですが、一部の人々は、バーボンやコーン・ウイスキーなどを密造したのでした
彼らは、月明かりの下で蒸留したのでムーンシャイナー(Moonshiner)と呼ばれ、密造ウイスキーは、ムーンシャイン、あるいはマウンテンデュー(Mountain Dew 山の露)とよばれました
ほとんど効果が無かったばかりか、密造や闇酒場の横行で飲酒人口を増やす結果に終わった禁酒法が廃止されると、アメリカのウイスキーづくりは、連続式蒸留機が主流になり、資本力の大きい企業に集約されていったのです
次回は、カナダから日本編です
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