本日は、ローランド地方からいきますね
ローランドの大規模蒸留所では、蒸留の効率化を進めていましたが、1826年、蒸留業者ローバート・スタインが連続式蒸留機を発明しました
1931年には、アイルランド、ダブリンで徴税使をしていたイーニアス・コフィが、より効率の良い連続式蒸留機を発明して、特許を取得しました
この連続式蒸留機はコフィ・スチルまたは、特許(パテント)取ったのでパテント・スチル呼ばれていますが、これによってトウモロコシや小麦など大麦麦芽以外の穀物を原料としたグレーン・ウイスキーが量産される様になりました
1853年エジンバラの酒商だったアンドリュー・アッシャー(Andrew Usher)がモルト・ウイスキーとフレーン・ウイスキーをブレンドした、ブレンデッド・ウイスキーを発売しました
モルトの豊かな香味とグレーンの飲みやすさを併せ持ったこの新タイプのウイスキーは、人々に広く受け入られたのです
ブレンデッド・ウイスキーが支持を広げていくに従い、スコットランドのウイスキー生産の主導権は、大規模なグレーン・ウイスキー蒸留業者に移っていきました
1877年、ローランドの大手蒸留業者6社によりD.C.L.(Distillers Company Limited)が結成され、生産、販売の両面で大きなシェアを占めるようになっていきました
1880年代に入って、ブドウ畑に壊滅的な被害を与えたフィロキセラ虫害により、フランスのワイン、ブランデーの生産が激減したのですが、これはブレンデッド・ウイスキーに有利に働いたのです
これまでコニャックなどのブランデーを飲んでいたイギリスの上流階級はコニャックに代わる熟成ブラウン・スピリッツとしてウイスキーを飲み始めたのでした
やがて専らジンを愛飲していた庶民層にもウイスキーが浸透していったのです
以後、D.C.L.などの大手生産者は、アメリカをはじめ、イギリスと関わりのある国々にウイスキーの輸出を始め、スコッチ・ウイスキーは、今日の酒の地位を築いていきました
次回は、アメリカ編ですよ
コメントはありません