ウイスキーの歴史について、何回かに分けて書いていきますね
ウイスキーがいつ頃作られ始めたかは明らかではないですが、1172年イングランドのヘンリー2世の軍隊がアイルランドに進攻した時、現地でUsquebaugh(アスキボーまたはウスケボー)と呼ばれる穀物を蒸留した酒を飲んでいるのを見た、と史書に記録が残っています
また、1494年のスコットランド大蔵省の記録には、「修道士ジョン・コーに発芽大麦8ボルを与え、生命の水(aquavitae)をつくらしむ」と記載されており、すでにスコットランドでもウイスキーづくりが行われて居た事がわかります8-
スコッチ・ウイスキーの生産者団体であるスコッチ・ウイスキー協会(本部・エジンバラ)はこの1949年を「ウイスキー誕生の年」としており、1994年には、盛大な「スコッチ・ウイスキー誕生500年記念式典」を開催しました
15世紀末のスコットランドのウイスキーは、まだ蒸留しただけの無色透明、荒い風味のスピリッツであり、現在の様な琥珀色に熟成した香味豊かな酒ではありませんでした
ウイスキーの樽による貯蔵・熟成がいつ頃、どのようなきっかけで始まったのか、については次の様な密造にまつわる説が広く信じれらてきました
1707年のイングランドによるスコットランド併合で大ブリテン王国が成立して以後、500ガロン以下の小型蒸留器の禁止などスコットランドのウイスキー蒸留業者に不利な政策が相次いで打ち出されていきました
このとき、スコットランドのローランド地方に本拠を置いた規模の大きい蒸留業者は、大麦麦芽以外の穀物を原料に取り入れ、麦芽の使用を減らすことで対抗しましたが、ハイランドの零細な蒸留業者は、山や谷深く隠れ、密造を始めました
彼らは、作業のしやすさから大麦麦芽を使い続け、麦芽の乾燥には従来の天日乾燥ではなく、人目に付かない屋内で、ハイランド山中に無尽蔵にあるピート(草炭)を燃やして乾燥しました
そして、蒸留したウイスキーをシェリーの空樽に詰めて隠し、徴税使の目から逃れようとしました
この結果、ハイランドのウイスキーは、ピートのスモーキー・フレーバーを持つ琥珀色の口当たりの柔らかなスピリッツになったのです
人々は、偶然にも樽貯蔵によるウイスキーの熟成効果をしったのでした
だがしかし この説には、熟成効果が得られるほど長期間、危険を冒してウイスキーを隠匿する不自然さや、当時、マデイラ・ワインやシェリーの樽熟成が知られていたはずで、スコットランドのウイスキー蒸留業者も意図的に樽貯蔵によるウイスキーの質的向上を図ったのではないか、などの否定的な指摘も多いです
ハイランドの有力者の娘であるエリザベス・グラントが書いた日記には「1822年、ジョージ・スミスが樽で熟成させていたミルクの様にマイルドなウイスキーを、スコットランドを訪れたジョージ4世の求めに応じて献上した」とあり、いずれにしても、遅くとも、19世紀初めには、ウイスキーの樽による熟成が行われており、一部の上流階級に珍重されていた、と考えられます
エリザベスの日記に登場するジョージ・スミスは1823年密造根絶の為、小規模蒸留を認めたウイスキー法の施行で、免許取得第1号となったザ・グレンリヴット蒸留所の創始者として知られています
この年以降、ハイランドの山中に隠れていたウイスキー蒸留業者(彼らは、イングランド政府に抵抗した誇り高き密造者の意味でスマグラー・Smugglerと呼ばれた)が相次いで表舞台に登場してきます
次回は、ローランド地方の事から少し入っていきましょう
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