東京までの配送物語続きです
帰りの道のりは 東京午後8時半
荻窪から高井戸駅のガードをくぐり
東京料金所まで走行 途中セルフスタンドでガソリン50リッターを給油
満タンになったハイエースを走らす 日曜日夜の為 車は少ない
通過口が20列あるような間口のでかい 東京料金所をETC無事通過
宮崎まで走破開始です
ガソリン計を見ながら 100キロ走行して 20リッター減ったら給油トイレ休憩という
リズムで ひた走りました 私のハイエースは レジアスエース 200K ガソリン車
帰りは空車の為 軽快に加速が効いて 燃費もいい
23時半に浜松SA入り 休息と給油 うなぎ弁当でも と思ったが 味噌カツを食べた
味噌辛くて おいしいものではなかった 土産にからし漬けを購入
大阪には左ルートを走行 ちなみに右ルートもある
大津インター辺りが集中工事の為通行止の表示が出ていたから
ナビが判断してコースを選んでくれたのです
ここまで報告 次回に続く
しょっぷ便り 子供 リネン服 など店長手作りしています
先週は福山市 浜松市 池袋 に行って来ました配送の為です
ハイエースに家具を積み込み
深夜1時に福山に向かって熊本ICまで走り
九州道を北上して行きました
早朝5時19分関門橋を渡って 九州脱出 山口下関へ
福山に着いたのが午前9時半
お客様のマンションにタンス2台設置して
午前11時に今度は浜松まで北上しました
大阪茨城市付近13時32分通過
浜松着が16時00分頃
17時に東京へひた走りました 交代で運転しながら
トイレと食事の時だけSAで休息と給油
宿泊の為杉並区荻窪まで行きました このときはすでに21時半
走破距離1325キロで21時間でした
高速料金は安いけど給油代金は相当な金額になりました
高速道給油所はガソリン価格が高いです
あくる日の日曜日に最後の配達先のお客様宅へ
東京荻窪から池袋まで都市高速を利用しましたが 地下首都高速道経由で走りましたが
3車線の道路を
かなりの高速で車は走っていました 60キロ制限を90キロで走っていますので
合流はタイミングよく合流しないと入れません
かなりのスピードで合流地点まで行き本線の流れに乗らなくてはなりません
東京はせわしい都会ですね
先日休日割引を利用して 広島 静岡 東京と ハイエースで走破しました
目的はオーダー家具の配送です 大きい家具なので荷作りが大変なのと
輸送の破損が心配でした ので 自社発送を実現しました
東京までの時間が21時間程 距離にして1300キロを往復しました
ガソリン使用量はは260リッターです
高速道が割引で安くとも 高速道SAはガソリン単価が142円で高く付きました
では次回に続きます
昭和館の入り口にたばこやさんのお店があります
日真名たばこやと言う看板に目がとまります
おばあちゃんが小さな窓から顔を出して 話しかけて来そうです
さらに奥に進むと 駄菓子屋さんのお店があります
駄菓子屋のガラスケースには小さなおもちゃが 整然と置かれていました
又大きなガラスケースにも昭和の時代に子供達が夢を描いた
ヒーロー達のめんこ カード 人形などが たくさん並べられて
昔の思い出がこみ上げてきて その場から立ち去る事がなかなか出来なく
て困ってしまいました
自転車の後ろに小さなエンジンをつけた自転車バイク とオート三輪車
今回は昭和館の内部にある 昭和30年代の暮らしの様子を紹介します
板壁に囲まれた路地で遊んでいた記憶が蘇って来そうな雰囲気です
水道の近くに この時代では贅沢な洗濯機 浴衣が干してあるので
夏の夕暮れといった感じ
日が落ちて ラジオで1丁目1番地の放送劇がはじまる時間です
そんな光景が見えてきそうです
お母さんは夕食の準備に忙しそうにしています
前回に続き昭和の町のお話です
昭和の町館はとても懐かしい物たちで一杯です
オート3輪車 単車(バイク)などが並んでいました車の色がとても可愛い感じがします
オート3輪車は屋根がテント地でシートは2脚エンジン部分にバイクみたいにまたいで運転しますハンドルはバイクと同じでバーハンドルです
小さくて可愛いミゼット3輪自動車-
以前 昭和の町に行った時のお話です
この町は大分県豊後高田にある昭和の町並みです
その入り口に昭和館みたいな建物があり 入場料を払って
中にいると そこはもう昭和30年代の町並みをリアルに再現しています
とても懐かしい本 おもちゃ 玩具が所狭しと並んでいます
町並みの商店街の一角に学校給食を食べさせてもらえる食堂がありました
これが食べかけの懐かしい学校給食
教室の模様です
ということで 次回は昭和の町で見つけた 懐かしい家具を
作る事になります
雑貨家具 リネン 小物 自宅しょっぷ kamonamyu
(旭ヶ丘第3公園近く)土 日のみ営業